R367 Miyako Rock Show Blog

ひでをの音楽夜噺 Vol.64 「ジェフ・ベックの新譜によせて」


ちょうど2000年発表の「Jeff」を最後に、正直な所、以降のアルバムにはやや物足りなさを感じていた。

もっとも、それまでが素晴らしすぎたのもあるだろうし、キャリアや年齢からすれば充分という見方も出来るかもしれない。

2度にわたって生で観た来日公演には感動したし、youtubeにアップされている近年のライブ映像もそれなりに満足出来る内容ではある・・・のだが・・・。

要は6年前に発表された前作「Emotion & Comotion」の内容および、近年の言わばギター・レジェンドとして、ある意味、祭り上げられた様な取り上げ方の数々、各種イベント類への出演等々を観聴きしていて・・・決して失望とまではいかないのだが、全体的に「円熟味」が増した感じの雰囲気が、自分の中で勝手に妄想する大好きなジェフ・ベックとはちょっと違ったということ。わがまま勝手な話だが。

そして今夜の主題、6年ぶりとなるスタジオ最新アルバム「Laud Hailer」。

和訳すれば、拡声器、メガホン。このアルバムにはブッ飛んだ!めちゃくちゃ嬉しかった!

参考までに、発表にあたっての彼の熱いコメントがある。


いま、音楽的進路を変えなかったら、オレは“ギターの世界”に押し込められちまうだろう。そもそもオレはそんな世界から出てきた人間じゃないんだ。」


そんな世界?・・・じゃなく?・・・というのは?

では、どんな世界から彼は登場したのだろうか?勝手に推測してみたw

まず一つ目のキーワードは、バンドと言う事。彼のキャリアだが、ヤードバーズからBB&Aまでは、バンドである。名盤Blow by blow 以降はソロ名義、インストナンバーばかりで、宣伝文句によく使われる「孤高のギタリスト」というイメージが際立つようになるのだが、言わば出自は「ソロ」ではなく、あくまでも一つのバンドの構成員としてのギタリストだったという事。換言すれば、バンド時代に発表してきたアルバムは、「ギター・アルバム」と呼べるようなものではなかったという事である。


もうひとつ推測したのが、彼が登場した当時の時代背景。ロック界のギターヒーローと呼ばれる様なミュージシャン達の多くは彼より多少なりとも若い世代が多い。要するに、デビュー当時の時代が違うという意味。そして、その時代背景については後述する。

いずれにしても、上記両方とも自分の勝手な邪推だし、本人に聞いたら全く違う答えが返ってくるかもしれないが w

話を進める。

この新譜、名義はソロだが、はっきり言って完全にひとつのバンドの雰囲気である。全編にわたってギターはもちろん炸裂してはいるものの、ボーカリストの存在感が完全にジェフと対等の位置にある。声質や歌い方も、過去のどのバンドのボーカリストよりも、彼のギターの音とスタイルに合っていると僕は感じる。
そのボーカリストだが、ロージー・ボーンズという女の子で、「ボーンズ」というイギリスのバンドのボーカリストでもある。
気になるので、youtubeでその「ボーンズ」というバンドを聴いてみた。ちょっと視点を変えれば、今回の新譜の音は、この「ボーンズ」に新しいギタリストとしてジェフが加入した様な・・・そんなイメージにも僕は感じた。
そしてもう一人、今回の新譜にはジェフとボーカルのロージーの2人と同列に明記されている名前がある。カーメン・ヴァンデンバーグという若い女性ミュージシャン。同じくボーンズというバンドのギタリストである。音の面ではあまり存在感はないが、恐らくソング・ライティングの段階で大きく関わっているアーティストだと思われる。
と言うのも、新譜のほぼ全曲が彼女を含む3人によるコンポーズドと記されているからだ。
そして大切な話をもうひとつ。
新譜の曲だが、全編にわたってはっきりとひとつのカラーを帯びている。この点について、ライナーノーツに書いてあった所によれば、ジェフはジミ・ヘンドリックスを意識したという。ひょっとして、いまジミヘンが生きていれば、どんなアルバムを作ったか?そんな意識もあったのではないだろうか?それを裏付けるかのように、この新譜はすべてエレクトリック・レディ・スタジオで録音されている。当時、ジミ・ヘンドリックスがニューヨークに設立したスタジオである。

さて。

再び、新譜に寄せた本人の言葉を記す。
今日の世の中で起こっているいくつかの不快なことについて声明を出したいとマジで思ってたんだ。集会に参加し、そして、こういう拡声器(Laud Hailer)を使って自分の見解を叫ぶ・・・っていうアイデアが気に入ったのさ。」
ここで先述の時代背景とジミヘンの話をしたい。
ジミはギターでの表現、歌、その他インタビューでも明確に反戦・反権力の姿勢を貫いていた。もっとも、当時はジミだけでなく、そんなアーティストが恐らく今よりもとても多かった時代だと思う。

そして話は「今」に繋がる。

歳をとると過去を振り返りたくなるのか、あるいは遣り残した何かを追い求めたくなるのか・・・。
それとも、今まさにこの様な時代の中に生きていて、何かに突き動かされたのか・・・。

モチベーションはどうであれ、このアルバムには、懐古趣味や職人的な技術論ではなく、常に時代と共に進み、時代を批判し、新しい景色を描こうとしてきたロックという音楽の「魂」みたいな何かが、全編に漲っている。

Laud Hailer」・・・この方向性を僕は全面的に支持したい。

 

PS. 新譜より1曲。

 

Scared for the children

 

ビリーはまた学校をさぼった

またバカみたいな顔して

大人の暮らしに憧れたりするなんて

なんだかもったいない

子供達が心配よ

 

コンピューターの画面や雑誌が

希望や夢を作り上げた

母親たちが番組に夢中だから

コンクリートの箱の中で遊んでる

子供達が心配よ

 

これは無邪気な時代の終わり

去っていく前にゲームをもう一度

これは無邪気な時代の終わり

私たちが彼らに残すものって?

きっとわからないでしょうね

 

「加工処理された野菜」に「人口肉」

食べるものがなくなりかけてる

「大人の銃」で遊んで

ハメを外し過ぎた小さな少年たち

子供達が心配よ

 

その日、最後の鳥が死んでも

テレビにくぎ付けになった大きな目からは

一滴の涙も出ない

ガラスのような目をした老人が

最後の草の一枚に口づけする

子供達が心配よ

 

誰も尊敬なんかしない

私たちがあんなことしたんじゃ当然よね

私たち なんてひどいお手本を示しちゃったの

この子供たちのためにそこにいてあげましょうよ

 

 

(ひでを・記)

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